今回は現在ネパール・カトマンドゥに住む、インド側カシミール出身の友人の事を書きたいと思います。
実名を書くのはちょっと問題が有るかもしれませんので、仮名をアリーとしておきます。
アリーとは随分長い付き合いなのですが、一般的にカシミール出身者というと商売上手で抜け目の無い、時には強引な印象が強いと感じられた人も多いかと思います。
彼等の故郷であるカシミール州が激しいゲリラ活動とそれに伴う印パ緊張状態により観光に関係した商売が1990年頃から事実上お手上げ状態に陥り、その為カシミールの商人達はインド各地はもとよりネパール、タイ、シンガポールや最近では日本にも進出してカシミールの物産を売っているのですが、時々地元の人達とのトラブルが起きている事もよく耳にします。
カトマンドゥのタメル地区ではカシミール人の大量進出の為に店舗家賃の相場が上がってしまった話は有名ですし、時にはイスラムとヒンドゥーの問題もあるようです。
また悪名高いデリーのインチキ旅行社にカシミール人が関係している事も多いらしく、私が以前コンノートプレイス近くの悪徳旅行社に冷やかしで入った時も、いかにも胡散臭い風体のカシミール出身と名乗る連中が何人か居て、カシミール行きを盛んに薦めて来たのを覚えています。
そんな事からカシミール出身者というと、どうもイメージが最近あまり良くない事も多いのですが、本当に仲良くなると非常に頼りになる、また出身地で数多くの困難を経験している為なのか実に暖かい、素晴らしい人々が数多く居るのも事実と思います。
私の友人であるアリーも、人間的魅力に溢れた人物で有り、それは付き合いが長くなる程に強く感じるようになりました。
彼は1990年代初頭、商売が成り立たなくなったカシミールからネパールへやってきて、カシミール製手工芸品の店をカトマンドゥで始めました。カシミールに残った一族の期待に応えて順調に業績を伸ばし、一時は2店舗をネパールで経営していたのですが、そのうち1店舗は彼の身に起きた大きな事件(後述します)の弁護士費用の為に数年前に手放したものの、残った1店舗を苦境ながらも何とか維持しています。
アリーとの最近の事を思い出すままに書きますと・・・
2002年の春、ネパール全土がマオイスト(=マオバディ=毛沢東主義共産ゲリラ)の呼びかけによるストライキから商店は一切店を開けられなくなった為、私もその日は午前中に工場で衣料品の打ち合わせ以外は仕事を進める事が出来なくなりました。
その為、店を開けられずに仕事を休まざるを得ないヒンドゥー教徒、チベット密教徒、イスラム教徒(アリーではなく、彼の友人)、そして日本仏教徒(私)による、あたかもバトルロワイヤルのような博打を半日ほど続け、私がメンバーの1人のイカサマを見破ったのをきっかけにペースをうまく掴み大勝しました。
その日はアリーの家で夕食をご馳走になる約束をしていたので、喜び勇んで家に行き、彼と彼の弟達と一緒に楽しく食事をとりました。
その時、博打で大勝した話を自慢すると「タケ、博打はするな。頼むからそういう事をしないと約束してくれ。約束出来ないなら、せめて俺には聞かせるな。お前は友人ではなく兄弟と思うから言っているんだ。」と諭されました。
彼は非常に真面目な男で普段からイスラムの規律に沿って日々を過ごしており、そんな彼から見たらとても悲しい事だったようです。もっとも、私が普段は博打をする人間では無い事をよく解ってくれ、その後は仲良く皆でインド映画のビデオを見て楽しみました。
しかし映画を見ながら「カリスマーもいいが、妹のカリーナもセクシーだなあ・・・」などと私が呟くと「どうもタケが言うとイヤラしく聞こえるなあ・・・お前はどうにも手に負えない・・・俺が導師になるから、今度こそイスラムに改宗する気は無いか?」と笑いながらも半分本気?で言われました。
私の腕時計のベルトが壊れた時には、私がどうしてもスケジュールの都合からすぐにバクタプルに行く予定だった為、アリーが代わりに雨季の大雨の中を傘も持たずに修理に走り回ってくれました。
特殊なベルトの腕時計の為、随分苦労して部品を探し回り、ニューロードの大きな販売店でようやく同じ様なリペアパーツを見つけて修理をして来てくれたらしいのですが、大変だった事を彼の弟から聞くまで一切自分から話しませんでした。感激した私が御礼に夕食をご馳走しようと一緒にイスラム料理店に行ったのですが、私がトイレへ行っている間に彼は支払いを全部済ませ、私から決してお金を受け取ろうとしませんでした。
この様にアリーは謹厳実直を絵に描いたような真面目な男なのですが・・・
実はアリーはあるイスラム原理主義のテロ事件に関連してSAARC(南アジア地域協力機構)に逮捕され、2年間余りネパールの刑務所に服役した過去が有ります。
彼が逮捕された時はネパールで発行している新聞の第一面に写真入りで記事が載り、インド各地でも大きく報道されたそうで、私自身は彼が逮捕された翌日、彼の弟から日本の私の事務所への電話で知らされ、その容疑内容も含めて愕然とした事を今でもはっきり覚えています。
事件について詳しくは書きませんが、主犯ではなく協力しただけとはいえ、彼が関係した事件を私は正当とは思えませんし、彼の犯した罪に対して憤りも勿論有ります。しかし、国籍、宗教、環境等すべて違う私が口出しできる問題では無い様にも思いますし、あえてその事には今でも一切触れず、社会復帰した彼とは以前と変わらぬ仲の良い兄弟のような関係が続いています。そして服役後の彼はより一層、人に対して優しく、暖かくなったように感じます。
また、この事件以来彼はカシミールに帰った事が有りません。
罪は懲役刑で償ったものの母国であるインド政府からは常にテロ関係の要注意人物としてマークされているようで、帰国の為にインド国内へ入った途端に逮捕される可能性も未だにあり、もう6年以上はネパールから出国していない状況です。
これは事実かどうかわかりませんが、以前カトマンドゥ発デリー行きのインディアンエアラインズがイスラム過激派にハイジャックされた時も彼の元へネパール警察が事情聴取に来たという噂話をヒンドゥー教徒の友人から聞きました。
そんなアリーですが、私にとっては政治的・宗教的信条をお互いに尊重した上で、かけがえの無い大切な友人で有り、常に自分よりも家族や仲間のことを考える暖かい彼と、これからも友情を大切に保っていきたいと思っています。
断固として世界中で起きるテロに対し、私は許す事が出来ません。
しかしアリーのことを思い出すだけで胸が熱くなってしまうような、私にとって彼はそんな大切な、素晴らしい友人である事も事実であります。
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